青葉町 。。。。。



ひさしぶりに 青葉町1丁目 の住人になっている自分が居た

ドラマ プラチナタウン  の中に すずかけ の タマ北 の あの黄色いカワイイ建物が現われては消えた

納得なんてできない

ただ 時は経つのね

ナンて

なんだかワカラナイものに自分を丸め込まなきゃならない

すずかけ が閉じる と知らされて

ナンで?? どうして???

と 騒いでいる私たちに

先生や職員さんたちの方がもっとショックナンだからね


そう云ってくれたのは 福島県出身の憧れの君だった




ずっと一緒に居てくれる

どんなにつらい時も一緒に乗り越えてくれる 筈 だった


私たちより 先生が 職員さんたちが




プラチナタウン に 浮かび上がっては 消えた




ドラマの中では 緑原町 だったか

まったくの 青葉町 だった


きっと何人かのナーシングに居た人たちもこのドラマを見て 私と同じように思っている

そう思いながら 少しだけ 先生たちのつらさもわかったような気がしていた








          ふたとせの春をはぐれて過ごしをり

                    台所のキフジン

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なんやかんやあって



・・・ なんやかんやあって

去年 2019年の12月

わたしは 65才にもなった(>_<)


あっという間に

と云えば云えるような

やっと たどり着いたと 云えばそんな気もする

自分一人では何もできない 自分勝手が大好きな65才のわたしだった




自分のことぐらい自分でできなきゃ

とか 思いあがっていた時もあったけれど

思いあがらせてくれてしまったのは すずかけ での自由な生活だった

あの場所に居てのわたしは 自分のことは ・・ と今思えば恥ずかしいことを云っていた

左半身マヒ 車イス使用の人生には自分のことは自分で というのは至難の業だった




病院生活を終えて すずかけでの療養生活に入り

2018年 すずかけ閉鎖の後は 在宅 ショート 通所 とその折々で自分に合ったところを見つける

それが大きな仕事になっていた

2017年からすずかけに代わってくれる施設を とさがしてはいたが

この 2019年 やっと 求める施設と巡り合うことができた




きっとまた 此処でも色々起こって

泣いて笑って過ごしていくのだろうと思うけれど

母のような存在の すずかけ で教えてもらえたこと叱ってもらえたこと

大きな大きな宝もの

きっと ダイジョウブ!! この宝ものがあるから!!




今年も また 剥がされるように別れて 見えなくなっていくものはあると思うけど

マヒするような哀しみの中

ヒトツでも光るものが見つけられたらいい




なんやかんやあって

ダイドコは 65才になりました




     そしていつも笑っているって決めました

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台風とラインと



懐かしき全薬工業OB会周栄会会報へ

台風とラインと  と題して 昭和48年入社(^_-)-☆のわたしが載りました




  台風とラインと


朝と夜の おはよー&おやすみラインだけでも、

そう思って 仕事場の近く 遊び場の近く 私たち夫婦と

動線の離れてしまった家族4人のラインがこしらえてある

忙しくしている お父さん 長男 次男は 

その 殆どが  既読スルー とか云う姿勢で

ときどき 私ひとりの おはよー と おやすみラインに既読3

が付くだけの画面に嫌気もさしたりするのだが

この間の9月9日、

次男の おはよーラインに

「おはよ、ついさっき電気が消えた」

というラインがあった!!


その前日

「ダイジョブ!とりあえず物干し竿は部屋に入れて雨戸閉めた」

というラインはあった。

物干し竿 のラインに、成長したね!とよろこびあっていた私たちだったのだけど

私たちはもちろん  

その中に居る彼自身も

『千葉県大規模停電』  などと命名されるまでの災害になってしまう

台風15号 の中にひとり残されてしまっていたことを

まだ正確にはわかっていなかった。


次男から停電のラインがあってから  

テレビをつけて、ナニがどうなっているのか?ダイジョブなのか?

と その状態を覗くと

画面は  雨、風、雨の台風報道で青く囲まれていた。




わたしが小学校の頃の昭和もまだ30年代には

台風 というと

『ロウソクあるのか??』というお父さんの声

『どうなってるの??』 というお母さんの声があった

わたしたち子どもは、いつも夫婦喧嘩の父と母が同じ方向を向き、

お互いを確認しあっている、そんなことが嬉しかったり、

ロウソクの灯りの中で食べたお父さんの握った丸い味噌にぎりの味が、

懐かしさいっぱいに込み上げてきたりする

・・・その程度の台風しか64年間生きてきて経験していなかったんだって思ったら

台風警戒の中に居る彼が急にオトナに感じたりして、


心配させないようにきっと余計なことはナにも知らせないでいるのだろう、

と、ひたすら自分を安心させていた。


停電一日目の当日には

『会社休みになった!』 というラインと

『まだ点かない』 で終わり

翌日は

『電気は来ないけどイオンは通常みたいだから渋滞避けて歩いて行ってみる』

とか、ナカナカ!!と思わせてくれていた。

65の父親と64の母親は互いにホッとしながら言葉にできない喜びを味わっても居た




そして  今日、 彼は次の台風と一緒に

ひさしぶりに 私たちのところへ戻って来た。




       台風の真中の吾子や闇の中

              台所のキフジン

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やすらぎの里 大泉



テレビ朝日のお昼に

オナジ音の 『やすらぎの郷』と云う番組があるけど

それじゃなくって

     『やすらぎの里 大泉』

という 特別養護老人ホーム がある

わたしが脳内出血になって母の介護をできなくなって

こちらへ ウチへ帰りたいとムズカル母を10年以上に渡って預かってもらい

看取ってもらった施設だった

・・・・・

お母さん 逝っても心配で仕方ないんだね

ナンて 話したりしながら



11月の18日から22日まで

お母さんもここで生活してたんだァ  とか 思ったりしながら

初めてのショートステイを体験^^vしてきたりした


一見 図太い雰囲気のわたしなのだが

それがどうして

人見知りしたりする



それを知ってか知らずか

・・・おかあさんのときに  お世話させていただきました ・・・・・

なんてわざわざご挨拶に来てくれる 職員さんが何人も居て

そのたびに  ああお母さんシアワセだったんだな  とか

そんなに心配しなくても大丈夫だよ

と 天に向かって云ってみたり



やすらぎの里 の前のショートで教えてもらった


『スクラッチアート』

100均でも売っている品物だけど




     『これでもやってな』

って感じで入所の前にママ友からの差し入れ

これが 大活躍だった!!

ぬり絵 の逆 地色の上の線を削っていくとしたから

『極彩色』が あらわれる!!

と云う風なもので

わたしのように障害があっても

道具も要らず楽しめる  そして 安い!!

母の 心配も

この ママ友からの差し入れと

職員さんたちの気遣いで

生意気な私は

  環境は変えてみなきゃね

とまで言えるようになっちゃいました(^_-)-☆


次のショートは12月1日からです!!




          そしてまた四人そろいの賀状書く


                 台所のキフジン 





 

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記念日。。



1980年の11月9日

ちゃきちゃんと私は結婚した

なんで ?? 土曜日だぞ

という父の声を聴きながら

この日が大安 ってぃう日で 好い日ナンだってさ

大安 が ナンなのか今もたいしてワカラナイが

そのイイと云われる 大安の 土曜日の11月9日に私たちは結婚式を挙げた




お前の ワガママじゃ 3日と持たないだろうな

という 友達の

父や母の声に アッカンべぇ〜と舌を出したりしながら



『売れ残りのクリスマスケーキ』

  という言葉が街を席巻している中

クリスマスケーキを恨みがましい目で見る前に

と云う感じで 結婚式までたどり着くことができた


夏の終わり体調を崩した母の長い入院生活の間に

式の準備は 『私がやっていいのかね??』 という

ちゃきちゃんのお母さん つまりお姑さんが入院している母に代わって

式場での 引き出物 お料理 は云うに及ばず

すべてのことに目と手と気持ちを貸してくれていた

花嫁衣裳を選びに行ったのも

ちゃきちゃんのお母さんとちゃきちゃん そして わたし だった

お母さんは お義母さんに お願いします と

わたしに ごめんね がんばってね を繰り返すばかりだった




男しか生んだことないのに  嬉しいよ


お義母さんはそう云って

すべてのことに 好いね  そうだね  よかったね

と 気持ちよく わたしの 私たちの気持ちを聞いてくれていた




1980年11月9日は晴天の土曜日だった

いまは妹のダンナさんになっているアツも まだ大学生で

その彼が中古で買った『日産ルーチェ』ワインカラーだったか

るーちぇルーチェルーチェ(^^♪ と 歌いながら飛び跳ねていた



そんな中 わたしは 父への あいさつをしようと


お父さん

  と 父の背中に声を掛けた その瞬間 シアワセなはずなのに 涙がこぼれてしまった

今でもあの時のことを思うと涙があふれ出てしまう


イイよ  やめろ

という父の声は もう震えていた

映画のお嫁さんに行く娘が涙をこぼすように


あいさつ させて  というわたしと イイよと逃げ回る父は

涙をこぼして家じゅうを走り回っていた





伯母の 『長持ちうた』 で始まった披露宴は

嬉しいのか 哀しいのか

暑いのか 寒いのか


そんなことも感じられない 興奮 の中で始まり

そして終わった

お客様を会場から見送り

最後のお一人が出られると

予定していたことでもないのに

わたしと父は  手と手を組んで

お客様の集団から離れ

父は オメデと  とヒトコト

     そして 肩をたたいてくれた
 

 

 

 

 

そして 今日 2019年の11月9日

3日持たない と云われたわたしたちは 

ナント!39回目!!の結婚記念日を迎えることができた(^O^)/



1985年に長男を

1991年に次男を生むことができ



 父 を送り

義父  義母   母の順で見送り


2006年には自分が脳内出血の車イス生活へ入った


39回の記念日のうち

入院中  入所中  だったことも

 記念日のプレゼントを持ったちゃきちゃんは

すずかけ のリハ室にも 何回か訪ねてくれている




自分の体調を維持するだけで親らしいことは何もできないけれど

カッコ悪くても生きる姿を見せ続けていこうと決めている




今日 2019年11月9日も好いお天気の土曜日になってくれた




        冬なれば冬の姿を見せていま

              台所のキフジン

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母の居た場所へ



いろいろ残念なことが重なって

2006年から重ねてきた生活と離れなくてはならなくなってしまった

それでも わたしは 自分の家でお風呂に入れないという致命的な生活の枷もあるので

何処かを探して どこかでお世話にならなくてはならない

私たち夫婦は同い年で カラオケ なんかピッタリ!ナンだァ^^v

と云っていたはずなのに

同い年の夫婦は ケッコウ 介護するちゃきちゃんも 傷んでいたりする

車イスで過ごす私にはナイ  膝の痛みがこの頃のちゃきちゃんを襲っている

朝 わたしの支度をしてくれている最中にも

   ウっと膝を抑えながら 今の音聞こえた???

と膝関節のガリガリこすれるような音の痛みに    ちょっと待ってて  毎朝決まって言うようになってきた




すずかけ があったら 少しは気も楽になるのに

いつも同じようなことを思って 大きくため息を吐いている


それでも 私はラッキー だった

この4月から デイへ通所させてもらっている

  やすらぎの里 大泉

こちらへの ショートでの入所もさせてもらえることとなった

母が居たころ

  3階でお世話になっている  娘の ダイドコ です

と云って かけていた電話は

最近

  デイでお世話になっています  ダイドコです(o_ _)o))

と変わり

今月から

  2階 ショートでもお世話になります の ダイドコです(o*。_。)oペコッ


4月 やすらぎの入り口で 

感じたこと  それは  母  だった

そして 今また 思う

  あのとき お母さんが連れてきてくれたんだ  と



そして わたしは いつか3階の 特養のダイドコになっているのかもしれない

病気ばかりのわたしを残していくのが心配だったのだろう

わたしは今 母の膝の中で・・お耳やって・・ と云っていた

あの頃に戻ってきたようなそんな気がしている




      母さんの居た場所にきて冬ぬくし

               台所のキフジン






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夏を越えて



もう今日は9月の8日

明日9日は85で逝った母の87回目のお誕生日になる


この夏の始まりは ナンか イケなかった

好きだったはずの 句 も 歌 も 詠めず仕舞いで

ため息ばかりをついて日が過ぎていた


・・・・どうしたんだろう??

わたしの中で何かが起こっているんだろうか

??????????


そんなことばかりを思い疑心暗鬼に陥っているところへ


     ・・・・脳に・・萎縮が 始まっている



  という ドクター からの 雷のようなものも落ちてきたりして

令和元年の夏の始まりは サイアク!!だった


萎縮イシュクいしゅく・・・・・・ とガムを噛むように唱えていても

なにもどうにもならない(>_<)

精々脳トレにいそしむ(泣)だけだった




そんなこんなで わたしの夏は7月も終わりに入っていた


と 7月28日の日曜日

お昼寝するからというわたしに

出掛けるのヤメにしたけど なにかある??

  と ちゃきちゃんが 声を掛けて   うん 起きる

起きて トイレ行く

と云った私は

いつも通りに起き上って

装具を付けてもらって


   立ちます     と云って 崩れた




あのときの自分は 『おぼろ豆腐』  だったのか??

お父さんの大好きな 『長いも』の 擂ったヤツだったのか?????



信じられない状態で崩れて

ちゃきちゃんの手の中で

  ビックリしたぁ   と云った

ちゃきちゃんは  驚かせないでよ


と それでも私よりはかなり落ち着いた風に云っていた


     もう少し様子を見たほうがイイんじゃないか

という ちゃきちゃんの云うことを聞かずに


  64才 本人です  崩れました


という 119番通報  をした

そして 救急車は

     順天堂🏥へ

問診と同時に 点滴 血液検査 МRI 尿検査 とありとあらゆる検査を終えて

6時間くらい病院の中に居ただろうか??


救急搬送 その診断は


  『低ナトリウム血症』(>_<)

2017年始めから ずっと2年以上( 一一)

     『高カリウム』

野菜ジュースと ちゃきちゃんちゃきちゃんが毎朝作ってくれていたバナナジュースはヤメにしました(^_-)-☆




低ナトリウム にもなるってわけです

2016年の暮れに哀しいかな(/_;)お誕生日の食事で『イレウス』発生!!

それまではサブイレウス  とかで少しは食べられていたのに(>_<)

栄養補助食品 とか 介護食 とか ミキサー食の中へ入らざるを得ない!

それでも

     『高アンモニア血症』  の既往症がある私は

排出しなきゃ 死んだも同じ(;・∀・)ってことで

どうしても  出さなきゃならない!!

16年の暮れにイレウスで運ばれて

もう手術はできないな  の言葉と

これが 下剤の限界だろう の言葉とに

打ち克つ! そんな気持ちで

毎日2リットル

気温25度以上には3リットル を決めて一生懸命飲んでいた(>_<)




いまは 水分 2リットル & 小腸で効く薬

これをもらって 順調に回復イタしております

マヒ側の脱臼のセイという  マヒ側の目が明かない理由をもらっていたのも

ナント!!2リットルにして2日??も経たずに目がアキ(>_<)


マヒ側の筋肉が動かないから という寒さの理由も体の中に水が溜まっていた

浮腫 ふしゅう( 一一)  人間だったてことがばっかみたい!!って云うようにわかって来たのでありました^^v




やっぱ わたしってつんよいわぁ〜といささか自分に呆れ気味の^^v




          台所のキフジン より

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がんばるぞい!!

最近 膝オレするようなことが何回か続いた

マヒ側だし しっかりリハビリもできてないから仕方ないのかな??

東京病院でやってた 立ち上がり訓練 してみようか とか思ってはいたんだけれど

その正体がわかった

ショートのリハビリのときに

  『反張膝』 だね

と私の疑問に軽々と応えられてしまった(>_<)

そう云ってくれた先生に

家では ベッドのPバーを使って東京病院でしてたみたいに立ち上がり訓練しなくちゃって思ってたんだけど

100回ナンて思ってはみても やって 20回

大抵はやらなかったなぁ と思って済ましてたけど

また 頑張ってみようかな??

とか 言い訳のような マタカよ

と云う気持ちを呟いてみたりもしちゃった

(^_-)-☆


『反張膝』

という名前は知らなかったけれど

すずかけ退所のアト一番最初についた 藤田 というちょっと男っぽいサバサバした女の先生から

マヒしてるし 膝のじん帯切ってるから

そうなる可能性はあるから気を付けて

とは云われてはいた(>_<)



ここへきてがむばるぞいの雨ばかり




時間を作って(暇なんだけどね^^v)

そう 暇なんだけど

時間を作って

脳を活性化する 折り紙 する!でしょ

そして もうちょっと時間を作って

 反張膝 克服のために

今度こそ! ベッドのPバーを使って

ゆっくりとした 立ち座り+立位保持  

することを 誓います!!




     どうして??なんて云ってられない

          台所のキフジンより

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知らないままで

知らないままでいること それがシアワセなのか

不幸せなのか ・・

わたしは つらいことであっても知っていた方が

シアワセだと思うけれど

余計に心配して自分も周りも混乱するだけだから 

悪いことなら 知らないほうがイイ

イイことだけ知ってればいいんだ  そう云う人もいる

ワタシみたいに 病気ばっかりしていると

自分の今に自分が納得できる説明ができるまでああだこうだと質問を繰り返し

納得して診察室を出なきゃ!!という

自分に対する「責任感??」みたいなものが強くて

めんどくさそうな 煩そうな顔をされることも多い

云ってみれば 診察室の コロンボ警部になったりしている(^_-)-☆

あまりのしつこさに

今時間がないから  後でもう一度来て

と云われて  もう一度行ったりすることも あったりする

最近の先生たちは忙しすぎるのか時間内に診療を終わらせるため

ひとりに費やす時間 言葉数をかなり減らしているように見える

それが当たり前と云うことなのか??

後で来て と云われて時間をかけて応えてくれた先生はいまは居ない

診察室に入った瞬間 先生との『真剣勝負??』が始まる

そして コロンボ警部はテレビでみるような半ば嫌な顔をされて

診察室から会計の列へと移動となる

そんなことを続けて もう64年

わたしはいつまでコロンボ警部でいるのか?? いられるのか??

また外来を予約して 嫌な顔をされて来なければならない




キフジンの名もあせしころ梅雨晴れ間

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続けるということ

もう何年??

コドモ①が高専生

コドモ②が中学生

わたしがまだ歩いていて父も母も元気だった

そして昨日で65才のお誕生日を迎え

定年してから嘱託として勤めてきた会社の『43』年にわたる生活から解放され

ウレシそうではあるモノの

ウロタエテイルヨウニモ見えるちゃきちゃんは

バリバリの現役で帰りは毎日11時を過ぎていた

そんなころから始めたこの台所のキフジン ココログブログ が

すずかけ への入所も入院もしていないのにパタッと更新しなくなってしまった


おかあさん ブログ更新しないの??  とか

どうしたの??最近 ダイドコブログ動いてないじゃん  とか

会う人ごとに云われてはいても

     だって お尻が痛くって パソコン前に座っちゃいられないんです〜!!

ナンて云ってたら もう何か月??

ラインはするくせに

自分の歴史同然のブログ ほったらかして

また 今日から ガンバリマス!!


埼玉病院で泣いてた

東京病院で車いすの列を作っていた


そして すずかけ で 泣いて 笑って また泣いて


台所のキフジンと名乗りし吾に雨や降る




          またね

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