おめでとうございます<(_ _)>

もう4日にもなっちゃったけど

新年あけましておめでとうございます<(_ _)>

2017年はめちゃくちゃ忙しくって

ただでさえ

  ジェットコースターみたいだね

とか云われてるワタシが 

   いつものジェットコースター × 3 ?? 4!!!

そのくらいのめちゃくちゃ感 ではあったけど

どうにかこうにか 予定していたことはすべて

・・たぶん  クリアー できた  と 思っている



この忙しかった年のとどめに来て

   ヤメてくれよぉ〜

  と ちゃきちゃんが云った

白内障の手術も

大泉特養のショートステイ という手を借りて

どうにかこうにか 乗り切ることが  できた ・・

いまも まだ 1日4回3種類の目薬と夜はまたもう一つ

見つかっちゃった  緑内障の目薬も点している

1か月近くにもなると

片手の目薬もケッコウ上手になってきた

100発100中 と云うわけにはいかなくても

思ったより 少し上目に点してみると

  ケッコウうまくいく^^v

右側はともかく

マヒ側の 左目に点すときには


まず お顔の体操をして

  開きにくくなっている左の瞼を開かせることに挑む

すずかけの食堂でよくやっていた

『太極拳体操』が このとき メッチャ役に立ってくれる!!

あのときは 先生を中心に みんなが居たけど ・・

いまは ひとり

ひとりで 太極拳体操をしながら 目薬を点す

1種類点して 5分開けなきゃならないから

めんどくさいなぁ  ナンて思いながらの 深呼吸も結構役に立つ



・・・・・

大泉特養のショートステイも 春からリハビリ(ショートに慣れるための!)

リハビリの甲斐あって

問題がなかった っていうワケじゃないけど

楽しんで過ごさせてもらうことができた^^v

すずかけ の あと ・・ どこか『老健』考えたほうがイイよ なんてみ〜んな云ってたけど

ワタシの 老健 は すずかけ ヒトツダケ!!

   そして ショートは 大泉特養 ヒトツダケ!!

もう 決めたんだ〜

決めなきゃ 次に進めないし ね

きっといろいろあって もめ事も起こすんだろうけど ・・

これからは 大泉のショートで遊ばせていただきます!!

また お医者さんばっかりだけど 忙しいの

1月の初めに  緑内障 の治療のスタート 

そして 2月の中旬には

  裕人クン の入院検査 

3月のアタマには

邦之くんと 裕人クンの 外来 が 待ってるでしょ ・・

そしたら  もう 春 cherryblossom

こんだけ忙しかったんだから

  今年はイイことあるでしょ・・きっと ネっ(^_-)-☆


新年あけましておめでとうございます

     今年もどうぞよろしくお願い申し上げまする

       台所のキフジン よりdog

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ヴォーカリスト      

月曜日のデイケアが終わったら

月曜日の夜になって ・・

火曜日の朝が来たら ・・ 入院するでしょ ・・・

そして 水曜日には  手術 (>_<)

みんな 大丈夫よぉ~ なんて

ウチのお袋だって 女房だって

   ゼンゼン!ダイジョブだったよ(´▽`)

ナンて云って大笑いする輩もいるし!!

    あ〜逃げたい ・・・・・・ ((+_+))

逃げたい

とか云うと

  逃げちゃえばイイじゃない

ナンて云っちゃうちゃきちゃんもいるし

もう ナンでこんなに病院と仲良しなんだろうか ???

・・・・・??

     ただ凹むばかりの灯には 日!には

すずかけのリハ室で聞いていた  (^^♪

     徳永英明  ヴォーカリスト

あさからずっとあのかすれた声に浸っている

down

  down

     へたり込むのもワルクナイ ・・notes

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そうしてそして。。。

全薬工業の機械室で知り合った

そのころはお互いに違う苗字を名乗って

カナリの生意気さ と

カナリの感じ悪さ を競っていた二人が

  ただ 帰る方向が一緒みたい ・・

ただ それだけで 妙に 急に  接近していったのは

  ・・あの頃は

  山が好きだったから

とか

同じ作家が 好みだったから 。。

とか

めちゃくちゃいろんな理由をくっつけてみても

やっぱり

  なんか 淋しかったのだろう 。。。。。


口には出さないけれど

 死んでも 淋しい だけは云わないつもり

     そんな  つもり  が

ド・アップ(>_<) で 見えていた eye 

人肌の恋しい年頃に ちょうどふたりとも ヒトリだった

  というだけなのかな?? とも思ったりもした

彼女が取り出した それは

思いがけず ワタシに新しい出会いを与えてくれた

全薬工業 という会社に勤めた者たちで作る OB会

   『周栄会』 という名のつく それは

もう かなり長い間を楽しく 和やかに経過している様子の『会報』 だった


18で 牛込商業を卒業して

その 4月からお勤めしたんだから ・・・・何年??

わたしは 彼女が連絡を取ってくれた 会 の方からの懐かしいお名前に震え

心躍らせながら 入会希望の葉書と よろしくお願いしますのお手紙を書いた

と すると 今日

今年最後の裕人クンの🏥外来はめちゃめちゃ混んでいて

へとへとになって帰ってきた私に見知らぬ番号から

     電話があった!!!

その 電話の主は あろうことか

  もう 何十年前???

  わたしが まだ 牛込商業の制服を着ていたころ

採用 の 試験官だった!!

  牛込商業から パイオニア ですね と云った あの人!!だった!!!

ケッコウ英語は好きだったんだけど

     ・・・・ パイオニア  って 意味わかってる??

そう聞く自分が居たことが怖かったのを

  もう40年以上経ったいまでも はっきりと覚えているshock



     とにかく 楽しかったし よく叱られた

云ってみれば 今とおんなじ

  すずかけ に居るのとオンナジ 

なんとなく 新大塚  あのそばを通るときはウキウキしちゃう(^^♪


  ナンか

白内障だって イレウスだって

     がんばれそうな気がしてきたぁ〜


昨日 一句一游で 採用があったからかもだけどね^^v


◆煮崩れた女もよろし芋粥も

          台所のキフジン


夏井いつきの一句一游  『芋粥』




   煮崩れてんの ・・ ワタシって bottle

 

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紅葉祭りに行ってきました

すずかけ が閉じても

東村山ナーシングホーム は 来年の3月まで生き残っていてくれている

そんな 東村山ナーシングホーム の 最期の催し

 紅葉祭り  に行ってきました

みんなみんな前と何も変わらない ・・ 先生はじめ職員さんたちは

そんな風を演じながらも長い間を過ごしたここが抹消されていく 

その 淋しさに耐えているふうにも見えました



     紅葉祭り すずかけ棟最後の作品は

   『回転寿司』 

カウンターも 椅子も お寿司も クルクル手の中で作った小さな芸術デス

Image0165

そして そして

東村山ナーシングホーム の 入口は

     紅葉祭り 色に 飾られていました

2017112213450001

 すずかけ棟の 目の先には

     桜花園

という 名 の ナーシング専用!! の公園があります

この猫ちゃんたちは ナーシングの人たちよりもずっとずっと 専用!!に使ってくれているのですが

ときどき 車が来ても避けようとしないで 遮断機のように邪魔をしてくれています


すずかけ棟 食堂の前から 🐈 さま のご挨拶です

2017112213410000

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サイカイ・・なんて・・・

ナンか ちょっと恥ずかしくって ・・

 『再会』 なんて云えない サイカイ ナンだけど ・・

母が亡くなった その欠礼葉書から

むkし 昔 の 山のにおいまでに 出会えたような

飲みながら廻った 山仲間との日々を思い出させてもらうことが。。できた

彼女とは まだ私が ハタチ前

 高校を卒業して はじめて お勤めと云うものをした

ジキニン で知られている 全薬工業 の

・・ そのころは 機械室 と呼ばれていた

まだ スーパーコンピューター導入前の

会計機に毛の生えたような それでも 最先端だった
そのチームの一員 生意気な後輩として 出会った

帰る方向が一緒で 人馴れしない私を

彼女は姉のようにやさしく包んでくれた

池袋から西武線に乗って 彼女は 石神井公園 私は 大泉学園

と 隣同士の駅に住んでいることを知ると

わたしは 下りなくていい石神井公園に下りて

彼女との 彼女に聞いてもらえる幸福感に浸っていた

ほとんど毎日 彼女のお気に入りの店で

ケーキ と 珈琲

それだけで 何時間も 笑いあい  涙していた


我儘な私は 父と・・ こちらも ワガママ ではあったが

よく ケンカをした

・・・・・双方とも 絶対に引かない

そのケンカの果てに

父から出る言葉は いつも

   『出ていけ〜!!』 

  その言葉に反射してか わたしは いつも

  『じゃ出ていくわ』

と云って 母が止めるのも聞かず

妹の  マタカ ・・ という視線の中で

行くところは 必ず

  彼女の家  だった

おじさんもオバサンモ

  また 来たか と云うよりは

お〜 来たか きたか(^_-)-☆

  ナンにもできないけど  ゆっくりしていきな

と 最近こんなの読んでるんだよ

と 部屋いっぱいの本の中に案内してくれていた



父が逝って 今年は 17年

父の葬儀に参加してくれた彼女と会うのも

       17年 が空いていた

そして 明日 彼女がわが家へ来てくれるという!!maple

ナンと云って迎えたらいいのか ・・

空白の17年の間に わたしは病み 母を送り

彼女も私も 60を越えて もう白いものの方が多くなってきたかもしれない

何年たっても記憶の中は昔の若いままでいるけれど・・




     なおさらに母恋しくてこいしくて巡り来る日のまだ夢の中mist

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がんばるぞぉ〜!!

8月の すずかけ 入所のときに

     ・・ ナンか ヘン

       今までと違う って気がする

このショートが終わったら 検査してみたほうがイイよ

       ナンか 今までと違う ・・・・・


そう しつこいくらいに指摘されていた

  脳内出血 とか患っていると

     なんか違う  イコール   認知症  ??

とか そんな言葉がすぐに浮かんでくるけど

  2週間のショートを終えて 救急外来で飛び込んだ神経内科

  そこで言われた言葉は


     左無視  眼科  に行って検査してみろ


     の 言葉 だった




『目』  しっかり見てもらえだってさぁ〜(';')


9月12日からの すずかけ 最後の入所になるころには


  もう  勝ったも同然!(^^)!


という 馬鹿な顔をして


   あのね  眼科  行ってみろ  だってさぁ〜(^^♪


とか  ホント お気楽なヤツに一気に変身していたりした


そして 大泉学園の駅のそばの眼科を教えてもらったり

ケッコウ 間の抜けたことをしていたりした

駅のそばの眼科は 車イス使用のワタシには狭くて

結局 裕人くんの病院の眼科へ行くことになった


そこで 『診療明細書』 に入りきらないくらいの沢山の検査をして


  『白内障』 ですね

両目 とも ・・

『右』はかなり 進んでいます

『手術』 は急いだほうがイイでしょう  (>_<)


   ん な こと 云われたって 

          怖いじゃん ((+_+))


白内障  という言葉が出たとき

       うっそぉ〜sign03

と 大声で叫び


 白内障 は 老化現象 ですから

     誰にでも可能性はあります 静かにしてください


と めちゃめちゃ冷静に云われて

  それでも と 間が抜けたことを云ってしまった 


『目薬』 じゃ ダメですか ???

白内障 で 『失明』 することって ありますか ???


きりっとしまった キレイ系の女医さんは ハッキリと


『目薬』 じゃ ダメです

  『失明』 します


と 応えた





   そして  それが 2週間前の木曜日

先週の木曜日には

ワタシがお手紙書くから

 という 電子カルテの お手紙を持って


神経内科の先生の所へ

  頭に異常のある私が 目の手術を受けても良いものかどうか を確かめに行ってきて



先生は 笑いながら

  イイに決まってるだろ

全身麻酔で 開腹手術も受けたくせして ナに云ってるんだよ

と 怖がる私に だいじょうぶ!!の気持ちを植え付けてくれた


自分で自分が可笑しくなるくらいに 怯えていた


確かに 全身麻酔で 癌 と 大きくなってしまった盲腸 の手術は受けたけど


・・・・・・・ それは みんな 眠っている間にはじまって

     眠っている間に終わっていた  ・・・・・



19日の神経内科の先生の結果をもって

眼科へ回り

    全身麻酔  って ナシですか ??

と 聞く私に

   また キッパリ!!と

無しsign03


と応えた  美形(強靭型)先生 だった







26日には ちゃきちゃんと 手術の説明 入院予約 に行ってきますlovely




指摘してくれた君が居て


治せる


頑張れ


と云う人たちに

またここで巡り合えました


12月の初め  白内障の手術を受けに行ってきます



頑張るっきゃないもんねwine




                 台所のキフジンより

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おくられて ・・

先月の24日に やっとの思いで旅立てた母は

沢山の思い出を残して

沢山の仕事を残していった

父のときも

川崎の義父 義母 のときも そうは感じなかったんだけれど

自分自身の体調が整わないからなのか

母の亡くなってから

  お通夜 告別式 と

果てしなく長く

  冷たく 重く感じていた

本来ならば

実家に住んでいる 長女のワタシが 頑張らなければいけないところなのだろうけれど

ほとんどすべての事を

夫であるちゃきちゃんに託し

自分は 自分の体調を作るのに必死だった


去年の暮れのイレウスから

いまだに

  流動食生活

それでも  なんとなく詰まっている ・・

という状態が 胃に ・・ こみあげてくる

 胃 に 癌 は未だ無い  と 先生は云うけれど

胃 と 腸 をつなぐ そこのとこらへんに ・・

ナンかゼッタイアリソウナ

ちょっと怖い 気もする


ソンナこと云ってて

  やわらか ご飯

ミキサー食 とか ちょびちょび食べながら

ケッコウ生きてるんだろうなぁ〜??

なんて

高をくくってはいるんだけど

おかあさんの お通夜に口に入れたのが

   ウーロン茶 と 厚焼き玉子

初七日の席では やっぱり ウーロン茶と 湯葉

     。。。。。

昔むかし

  もしかしたら このまま破裂しちゃうんじゃないか!?

なんていう 焼き肉 +生ビール !!

のときもあったけど 

この『い』 があの 「胃」

なのか???? と自分が一番信じられないでいる

いまは 食べていない時でさえ 胃 は主張 して

ときどき イイ子イイコ と 撫でてやり

姿勢を好くし

  あなたのために

あなたのおかげで 生きて居ます

と いつも繰り返す日が続いている


来月の初めには

四十九日 納骨 と云う日が来る



     そしてまた私は厚焼き玉子を食べる のかも知れない



           この頃ちょっと疲れてきた  台所のキフジンより

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そして ・・

9月の24日 長い間苦しんでいた母が逝った

若いころから ずっと病気のし通し

  苦労のし通しだった

40年近く前の私の結婚式をあとひと月と控えて

最初の長い入院となった

それから先は 毎年 夏を乗り越えてこのくらいの時期になると 脳梗塞

の繰り返し だった

子どもが小さかったころ

     『ばぁば 作品展 嫌いなのかなぁ ??』 なんて

入院中で 作品展 へ来られない母のことを言ったりしていた

自分が一生懸命に拵えたものを 大好きな ばぁば に見て ほめてほしかったのだろう

展示してある間を手をつないで歩きながら

  ばぁばもきっと見たかったね ・・

そういうのが精いっぱいだった



わたしが 車イスの生活になってからというもの

ちゃきちゃん と 妹に任せっきりで

なにもしてあげられなくて

親切にしてくれる 特別養護老人ホーム やすらぎの里さんの好意に甘えるばかりだった

親不孝をした

心配ばかりかけて

  それがおかあさんの病気の原因 引き金になって行ったんじゃないか・・と思っている

今年の夏の初め

肺炎と心筋梗塞で救急搬送されて

  だめかもしれない と云われて

それでも 病院で 手厚い看護の結果特養に戻れるまでになり

最期まで 看取りましょう

  と 胸を張って迎えてくれた やすらぎの里 があった

母は このまま元気になれるんじゃないか ?? と思えるほどの顔つきになり

9月9日 85才のお誕生日を迎えた

きっと  たぶん  もしかしたら ・・

これが最後のお誕生日になるんじゃないか・・という思いも抱いて

       お誕生日おめでとう !!  と 85才を祝った

母はお誕生日の9日を過ぎて 急に 血圧が出なくなってきた

  ほとんど毎日 ちゃきちゃんは 緊急の呼び出しをもらって

会社へは出ているものの朝の血圧が100へ届かない母のところへ日参する日が続いていた

血圧が100にならないから ・・ と 神戸の妹へは連絡していた  が

ワタシは すずかけ へ 最後の入所中  だった

もしも自分が自由になれるのなら

とんで走って

  おかあさんのところへ行っていたかもしれない

わたしは 9月9日の お誕生日会を終え

9月12日から 今回で最後になる すずかけ へ 入所していた

ちゃきちゃんからの 緊急の呼び出しがあった ・・

というメールを見るたび

自分勝手にも  ずるくも ・・

     私の退所まで 待ってて ・・ 邪魔しないで ・・・・・

そんなことを思ってしまう嫌な女だった

緊急の呼び出しがあって お袋さんのとこに行ってくる

  そういう メールがほとんど毎日来るようになって

それでも おかあさんは 待っていてくれた


すずかけ で 卒業証書 をもらい

  わたしは  それを ブログにアップしていた

・・・・ 疲れたのか うたた寝中の ちゃきちゃんのケータイが何回か続けて鳴っていた

やっと ナーシングの記事をアップできた私に

めちゃめちゃ引き締まった顔をして

     行ってくるから

もう 仁王立ち の ちゃきちゃんが居た

     どうしたの ??  と聞く私に

やすらぎ から  お袋さんの 息が止まったって ・・・・・・・・・



水 飲む

まだ どうなるかワカラナイから

     連絡は しなくていいから

そう云いながら何度もため息をついて

     最後は  少し  うなりながら おかあさんのもとへ急いで出かけて行った

そして その日のうちに おかあさんは 白い棺に居を移し

  久しぶりに 薄くお化粧もされて私たちのところへ帰ってきた



いくつぐらいだったか それは 忘れたけど

  わたし おかあさんが居なくなったら生きてられない ・・・・・

本気でそう思っていたころがあった

そんな私に 今 力を与えてくれるのは

  やっぱり ちゃきちゃん ナンだと思う

  おかあさんに頼っていたのと同じか あるいは それ以上

今のワタシは ちゃきちゃん なしでは 生きてられない

おかあさん 私は大丈夫だからねぇ

     そう云って 見送ることにする

いつまでたっても 甘ったれの情けない奴 だけどさ

       すこ〜しだけ  

           頑張ってみるから  ねっ!!


       昨日 おかあさんの遺影を 。。決めた

              。。。。。。。。。。


              台所のキフジンよりapple

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東村山ナーシングホーム すずかけ

あなたは 東村山ナーシングホーム 老健 すずかけを

卒業したことを証します

長年に渡るリハビリの成果を生かし

これからも 家族仲良く

何事も 気にし過ぎず

楽しく 元気に 生活してください

  平成29年 9月23日

          東村山ナーシングホーム医局長





     。。。。。。。。。。




感激と 拭いきれない 涙の中で 

    

      すずかけ棟  卒業証書 

 を いただいて     私の 11年にわたる  すずかけ 生活は最後の日を迎えていた



もういちど  と 

  もういちどだけ 。。。。

と いう

欲張った思いが

余計に切なくさせ

     いつも 寝落ち だね 

 と云われるわたしが 

起こされるまで 絶対起きない私が

眠りにつけず

夜中の1時半 に起きて ・・・

  それから 一睡もできずに 最後の朝を迎えてしまった


すずかけ  も なくなることがあるんだぞ

  最初に そう云われたのは いつだったか ・・

当たり前でしょ!!

  なくならないものは ナイの!!

そう答えていた ワタシだったのに 

こんなに 早く その日が来るなんて ・・ 思いもしなかった


なくならないものは ナイ!!

  そう答えた 作業療法室で

  金曜日 

 2017年 9月22日

最後の リハビリ を終えて

わたしは 

お嫁に行く朝

父に 云ったのと同じ言葉を 父に向かったそれ以上の気持ちで

ハラクニ君 に向かって 云っていた



ありがとうございました

  長い間 ・・  お世話になりました

     此処でのことは一生大切に

一生懸命 生きていきます

     先生も 無理せず お元気で

・・・・・・・

此処でのことは ・・ からは 涙ばかりで  言葉にならなかったけれど

大好きな ハラクニ君 も  うん うん

と 云って  元気でな 

と  云ってくれていた



東京都の方針で老人福祉はカットされていくそうだ

そのカットの最終ランナーが

  此処     東村山ナーシングホーム  となった



これから先のことを考えても ・・ 仕方ないのかもしれない

先生や 相談員さん 看護士さん 介護士さん

福祉 を仕事に選択してくれたほとんどすべての人が混乱してしまう

イイカゲンに生きること

明日は明日の風が吹く

  と 云いきること

そんなばかばかしい言葉に対応できる自分を育てること

これからは それが大切!!! なのかも ・・しれない



どっちにしても

わたしの すずかけ  東村山ナーシングホームは

10月の 東村山の作品展  これと



11月の  東村山ナーシングホーム 最後の

       『紅葉まつり』



           で  幕を閉じることになったmaple




台所のキフジン泣いてばかりで目がかゆいでありますweep

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行ってきます<(_ _)>

2006年8月3日 ・・ だったと思う ・・ そこから始まったわたしの すずかけ 入所生活は

この12日からの10日間でいよいよ最後になる

痛かったこと

哀しかったこと

  つらかったこと

そんな気持ちを上回る うれしかったことの積み重ねで

わたしの すずかけ 生活は終わろうとしている

埼玉病院の神経内科へ救急搬送されて

やっとの思いで 一命をとりとめ

リハビリは 東京病院へ と云われて

泣き泣き移った 東京病院でも いい先生 元気の出る患者さんたちに出会えて

車イスの漕ぎ方うごかし方もままならないままに

すずかけ での生活がスタートした

  最初は泣いてばかり

人の話を聞こうとしないで 反抗ばかりしていた わたしだったけれど

すずかけを退所する 06年11月頃には

すずかけはなくてはならない 存在

わたしの 生まれ育った 実家 とも化していた

その すずかけ で 介護4 だった わたしは 最初の見直しの時に

介護 2 となり

なんだか これまでの努力を誉めてもらったような錯覚に陥っていた

介護の2 になったのが うれしい!! と云う私に

     そういう考え方もあるんだな

半ばあきれた顔で云われていた

今思うと あの時のワタシと今のワタシが同じ介護度でオカシクナイわけがないと思うけど

それでも どうにか乗り越えてきた

感謝 カンシャ の すずかけ  ナンだけど


此処でいよいよお別れ になる

すずかけ は この9月いっぱいで閉じる

淋しくなるね

とか言ってたけど  淋しすぎる

最後を 見送る なんて云ってたくせに

12日からの入所は わたし ヒトリ だそうだ

あんなにたくさんいたのに

テレビの取り合いもなくなっちゃったら 見る気しなくなっちゃうかも ・・・・・

ナンて きっと一人で占領してるんだろうなぁ〜 

あの 広くて長い廊下も

   食堂も

窓から見える朝顔 も ・・・・・

がんばろっと!!

いつからか一人のわれと君になりもっと強くとそればかり言う

                 台所のキフジンより

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