サイカイ・・なんて・・・

ナンか ちょっと恥ずかしくって ・・

 『再会』 なんて云えない サイカイ ナンだけど ・・

母が亡くなった その欠礼葉書から

むkし 昔 の 山のにおいまでに 出会えたような

飲みながら廻った 山仲間との日々を思い出させてもらうことが。。できた

彼女とは まだ私が ハタチ前

 高校を卒業して はじめて お勤めと云うものをした

ジキニン で知られている 全薬工業 の

・・ そのころは 機械室 と呼ばれていた

まだ スーパーコンピューター導入前の

会計機に毛の生えたような それでも 最先端だった
そのチームの一員 生意気な後輩として 出会った

帰る方向が一緒で 人馴れしない私を

彼女は姉のようにやさしく包んでくれた

池袋から西武線に乗って 彼女は 石神井公園 私は 大泉学園

と 隣同士の駅に住んでいることを知ると

わたしは 下りなくていい石神井公園に下りて

彼女との 彼女に聞いてもらえる幸福感に浸っていた

ほとんど毎日 彼女のお気に入りの店で

ケーキ と 珈琲

それだけで 何時間も 笑いあい  涙していた


我儘な私は 父と・・ こちらも ワガママ ではあったが

よく ケンカをした

・・・・・双方とも 絶対に引かない

そのケンカの果てに

父から出る言葉は いつも

   『出ていけ〜!!』 

  その言葉に反射してか わたしは いつも

  『じゃ出ていくわ』

と云って 母が止めるのも聞かず

妹の  マタカ ・・ という視線の中で

行くところは 必ず

  彼女の家  だった

おじさんもオバサンモ

  また 来たか と云うよりは

お〜 来たか きたか(^_-)-☆

  ナンにもできないけど  ゆっくりしていきな

と 最近こんなの読んでるんだよ

と 部屋いっぱいの本の中に案内してくれていた



父が逝って 今年は 17年

父の葬儀に参加してくれた彼女と会うのも

       17年 が空いていた

そして 明日 彼女がわが家へ来てくれるという!!maple

ナンと云って迎えたらいいのか ・・

空白の17年の間に わたしは病み 母を送り

彼女も私も 60を越えて もう白いものの方が多くなってきたかもしれない

何年たっても記憶の中は昔の若いままでいるけれど・・




     なおさらに母恋しくてこいしくて巡り来る日のまだ夢の中mist

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がんばるぞぉ〜!!

8月の すずかけ 入所のときに

     ・・ ナンか ヘン

       今までと違う って気がする

このショートが終わったら 検査してみたほうがイイよ

       ナンか 今までと違う ・・・・・


そう しつこいくらいに指摘されていた

  脳内出血 とか患っていると

     なんか違う  イコール   認知症  ??

とか そんな言葉がすぐに浮かんでくるけど

  2週間のショートを終えて 救急外来で飛び込んだ神経内科

  そこで言われた言葉は


     左無視  眼科  に行って検査してみろ


     の 言葉 だった




『目』  しっかり見てもらえだってさぁ〜(';')


9月12日からの すずかけ 最後の入所になるころには


  もう  勝ったも同然!(^^)!


という 馬鹿な顔をして


   あのね  眼科  行ってみろ  だってさぁ〜(^^♪


とか  ホント お気楽なヤツに一気に変身していたりした


そして 大泉学園の駅のそばの眼科を教えてもらったり

ケッコウ 間の抜けたことをしていたりした

駅のそばの眼科は 車イス使用のワタシには狭くて

結局 裕人くんの病院の眼科へ行くことになった


そこで 『診療明細書』 に入りきらないくらいの沢山の検査をして


  『白内障』 ですね

両目 とも ・・

『右』はかなり 進んでいます

『手術』 は急いだほうがイイでしょう  (>_<)


   ん な こと 云われたって 

          怖いじゃん ((+_+))


白内障  という言葉が出たとき

       うっそぉ〜sign03

と 大声で叫び


 白内障 は 老化現象 ですから

     誰にでも可能性はあります 静かにしてください


と めちゃめちゃ冷静に云われて

  それでも と 間が抜けたことを云ってしまった 


『目薬』 じゃ ダメですか ???

白内障 で 『失明』 することって ありますか ???


きりっとしまった キレイ系の女医さんは ハッキリと


『目薬』 じゃ ダメです

  『失明』 します


と 応えた





   そして  それが 2週間前の木曜日

先週の木曜日には

ワタシがお手紙書くから

 という 電子カルテの お手紙を持って


神経内科の先生の所へ

  頭に異常のある私が 目の手術を受けても良いものかどうか を確かめに行ってきて



先生は 笑いながら

  イイに決まってるだろ

全身麻酔で 開腹手術も受けたくせして ナに云ってるんだよ

と 怖がる私に だいじょうぶ!!の気持ちを植え付けてくれた


自分で自分が可笑しくなるくらいに 怯えていた


確かに 全身麻酔で 癌 と 大きくなってしまった盲腸 の手術は受けたけど


・・・・・・・ それは みんな 眠っている間にはじまって

     眠っている間に終わっていた  ・・・・・



19日の神経内科の先生の結果をもって

眼科へ回り

    全身麻酔  って ナシですか ??

と 聞く私に

   また キッパリ!!と

無しsign03


と応えた  美形(強靭型)先生 だった







26日には ちゃきちゃんと 手術の説明 入院予約 に行ってきますlovely




指摘してくれた君が居て


治せる


頑張れ


と云う人たちに

またここで巡り合えました


12月の初め  白内障の手術を受けに行ってきます



頑張るっきゃないもんねwine




                 台所のキフジンより

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おくられて ・・

先月の24日に やっとの思いで旅立てた母は

沢山の思い出を残して

沢山の仕事を残していった

父のときも

川崎の義父 義母 のときも そうは感じなかったんだけれど

自分自身の体調が整わないからなのか

母の亡くなってから

  お通夜 告別式 と

果てしなく長く

  冷たく 重く感じていた

本来ならば

実家に住んでいる 長女のワタシが 頑張らなければいけないところなのだろうけれど

ほとんどすべての事を

夫であるちゃきちゃんに託し

自分は 自分の体調を作るのに必死だった


去年の暮れのイレウスから

いまだに

  流動食生活

それでも  なんとなく詰まっている ・・

という状態が 胃に ・・ こみあげてくる

 胃 に 癌 は未だ無い  と 先生は云うけれど

胃 と 腸 をつなぐ そこのとこらへんに ・・

ナンかゼッタイアリソウナ

ちょっと怖い 気もする


ソンナこと云ってて

  やわらか ご飯

ミキサー食 とか ちょびちょび食べながら

ケッコウ生きてるんだろうなぁ〜??

なんて

高をくくってはいるんだけど

おかあさんの お通夜に口に入れたのが

   ウーロン茶 と 厚焼き玉子

初七日の席では やっぱり ウーロン茶と 湯葉

     。。。。。

昔むかし

  もしかしたら このまま破裂しちゃうんじゃないか!?

なんていう 焼き肉 +生ビール !!

のときもあったけど 

この『い』 があの 「胃」

なのか???? と自分が一番信じられないでいる

いまは 食べていない時でさえ 胃 は主張 して

ときどき イイ子イイコ と 撫でてやり

姿勢を好くし

  あなたのために

あなたのおかげで 生きて居ます

と いつも繰り返す日が続いている


来月の初めには

四十九日 納骨 と云う日が来る



     そしてまた私は厚焼き玉子を食べる のかも知れない



           この頃ちょっと疲れてきた  台所のキフジンより

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そして ・・

9月の24日 長い間苦しんでいた母が逝った

若いころから ずっと病気のし通し

  苦労のし通しだった

40年近く前の私の結婚式をあとひと月と控えて

最初の長い入院となった

それから先は 毎年 夏を乗り越えてこのくらいの時期になると 脳梗塞

の繰り返し だった

子どもが小さかったころ

     『ばぁば 作品展 嫌いなのかなぁ ??』 なんて

入院中で 作品展 へ来られない母のことを言ったりしていた

自分が一生懸命に拵えたものを 大好きな ばぁば に見て ほめてほしかったのだろう

展示してある間を手をつないで歩きながら

  ばぁばもきっと見たかったね ・・

そういうのが精いっぱいだった



わたしが 車イスの生活になってからというもの

ちゃきちゃん と 妹に任せっきりで

なにもしてあげられなくて

親切にしてくれる 特別養護老人ホーム やすらぎの里さんの好意に甘えるばかりだった

親不孝をした

心配ばかりかけて

  それがおかあさんの病気の原因 引き金になって行ったんじゃないか・・と思っている

今年の夏の初め

肺炎と心筋梗塞で救急搬送されて

  だめかもしれない と云われて

それでも 病院で 手厚い看護の結果特養に戻れるまでになり

最期まで 看取りましょう

  と 胸を張って迎えてくれた やすらぎの里 があった

母は このまま元気になれるんじゃないか ?? と思えるほどの顔つきになり

9月9日 85才のお誕生日を迎えた

きっと  たぶん  もしかしたら ・・

これが最後のお誕生日になるんじゃないか・・という思いも抱いて

       お誕生日おめでとう !!  と 85才を祝った

母はお誕生日の9日を過ぎて 急に 血圧が出なくなってきた

  ほとんど毎日 ちゃきちゃんは 緊急の呼び出しをもらって

会社へは出ているものの朝の血圧が100へ届かない母のところへ日参する日が続いていた

血圧が100にならないから ・・ と 神戸の妹へは連絡していた  が

ワタシは すずかけ へ 最後の入所中  だった

もしも自分が自由になれるのなら

とんで走って

  おかあさんのところへ行っていたかもしれない

わたしは 9月9日の お誕生日会を終え

9月12日から 今回で最後になる すずかけ へ 入所していた

ちゃきちゃんからの 緊急の呼び出しがあった ・・

というメールを見るたび

自分勝手にも  ずるくも ・・

     私の退所まで 待ってて ・・ 邪魔しないで ・・・・・

そんなことを思ってしまう嫌な女だった

緊急の呼び出しがあって お袋さんのとこに行ってくる

  そういう メールがほとんど毎日来るようになって

それでも おかあさんは 待っていてくれた


すずかけ で 卒業証書 をもらい

  わたしは  それを ブログにアップしていた

・・・・ 疲れたのか うたた寝中の ちゃきちゃんのケータイが何回か続けて鳴っていた

やっと ナーシングの記事をアップできた私に

めちゃめちゃ引き締まった顔をして

     行ってくるから

もう 仁王立ち の ちゃきちゃんが居た

     どうしたの ??  と聞く私に

やすらぎ から  お袋さんの 息が止まったって ・・・・・・・・・



水 飲む

まだ どうなるかワカラナイから

     連絡は しなくていいから

そう云いながら何度もため息をついて

     最後は  少し  うなりながら おかあさんのもとへ急いで出かけて行った

そして その日のうちに おかあさんは 白い棺に居を移し

  久しぶりに 薄くお化粧もされて私たちのところへ帰ってきた



いくつぐらいだったか それは 忘れたけど

  わたし おかあさんが居なくなったら生きてられない ・・・・・

本気でそう思っていたころがあった

そんな私に 今 力を与えてくれるのは

  やっぱり ちゃきちゃん ナンだと思う

  おかあさんに頼っていたのと同じか あるいは それ以上

今のワタシは ちゃきちゃん なしでは 生きてられない

おかあさん 私は大丈夫だからねぇ

     そう云って 見送ることにする

いつまでたっても 甘ったれの情けない奴 だけどさ

       すこ〜しだけ  

           頑張ってみるから  ねっ!!


       昨日 おかあさんの遺影を 。。決めた

              。。。。。。。。。。


              台所のキフジンよりapple

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東村山ナーシングホーム すずかけ

あなたは 東村山ナーシングホーム 老健 すずかけを

卒業したことを証します

長年に渡るリハビリの成果を生かし

これからも 家族仲良く

何事も 気にし過ぎず

楽しく 元気に 生活してください

  平成29年 9月23日

          東村山ナーシングホーム医局長





     。。。。。。。。。。




感激と 拭いきれない 涙の中で 

    

      すずかけ棟  卒業証書 

 を いただいて     私の 11年にわたる  すずかけ 生活は最後の日を迎えていた



もういちど  と 

  もういちどだけ 。。。。

と いう

欲張った思いが

余計に切なくさせ

     いつも 寝落ち だね 

 と云われるわたしが 

起こされるまで 絶対起きない私が

眠りにつけず

夜中の1時半 に起きて ・・・

  それから 一睡もできずに 最後の朝を迎えてしまった


すずかけ  も なくなることがあるんだぞ

  最初に そう云われたのは いつだったか ・・

当たり前でしょ!!

  なくならないものは ナイの!!

そう答えていた ワタシだったのに 

こんなに 早く その日が来るなんて ・・ 思いもしなかった


なくならないものは ナイ!!

  そう答えた 作業療法室で

  金曜日 

 2017年 9月22日

最後の リハビリ を終えて

わたしは 

お嫁に行く朝

父に 云ったのと同じ言葉を 父に向かったそれ以上の気持ちで

ハラクニ君 に向かって 云っていた



ありがとうございました

  長い間 ・・  お世話になりました

     此処でのことは一生大切に

一生懸命 生きていきます

     先生も 無理せず お元気で

・・・・・・・

此処でのことは ・・ からは 涙ばかりで  言葉にならなかったけれど

大好きな ハラクニ君 も  うん うん

と 云って  元気でな 

と  云ってくれていた



東京都の方針で老人福祉はカットされていくそうだ

そのカットの最終ランナーが

  此処     東村山ナーシングホーム  となった



これから先のことを考えても ・・ 仕方ないのかもしれない

先生や 相談員さん 看護士さん 介護士さん

福祉 を仕事に選択してくれたほとんどすべての人が混乱してしまう

イイカゲンに生きること

明日は明日の風が吹く

  と 云いきること

そんなばかばかしい言葉に対応できる自分を育てること

これからは それが大切!!! なのかも ・・しれない



どっちにしても

わたしの すずかけ  東村山ナーシングホームは

10月の 東村山の作品展  これと



11月の  東村山ナーシングホーム 最後の

       『紅葉まつり』



           で  幕を閉じることになったmaple




台所のキフジン泣いてばかりで目がかゆいでありますweep

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行ってきます<(_ _)>

2006年8月3日 ・・ だったと思う ・・ そこから始まったわたしの すずかけ 入所生活は

この12日からの10日間でいよいよ最後になる

痛かったこと

哀しかったこと

  つらかったこと

そんな気持ちを上回る うれしかったことの積み重ねで

わたしの すずかけ 生活は終わろうとしている

埼玉病院の神経内科へ救急搬送されて

やっとの思いで 一命をとりとめ

リハビリは 東京病院へ と云われて

泣き泣き移った 東京病院でも いい先生 元気の出る患者さんたちに出会えて

車イスの漕ぎ方うごかし方もままならないままに

すずかけ での生活がスタートした

  最初は泣いてばかり

人の話を聞こうとしないで 反抗ばかりしていた わたしだったけれど

すずかけを退所する 06年11月頃には

すずかけはなくてはならない 存在

わたしの 生まれ育った 実家 とも化していた

その すずかけ で 介護4 だった わたしは 最初の見直しの時に

介護 2 となり

なんだか これまでの努力を誉めてもらったような錯覚に陥っていた

介護の2 になったのが うれしい!! と云う私に

     そういう考え方もあるんだな

半ばあきれた顔で云われていた

今思うと あの時のワタシと今のワタシが同じ介護度でオカシクナイわけがないと思うけど

それでも どうにか乗り越えてきた

感謝 カンシャ の すずかけ  ナンだけど


此処でいよいよお別れ になる

すずかけ は この9月いっぱいで閉じる

淋しくなるね

とか言ってたけど  淋しすぎる

最後を 見送る なんて云ってたくせに

12日からの入所は わたし ヒトリ だそうだ

あんなにたくさんいたのに

テレビの取り合いもなくなっちゃったら 見る気しなくなっちゃうかも ・・・・・

ナンて きっと一人で占領してるんだろうなぁ〜 

あの 広くて長い廊下も

   食堂も

窓から見える朝顔 も ・・・・・

がんばろっと!!

いつからか一人のわれと君になりもっと強くとそればかり言う

                 台所のキフジンより

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行ってきました      

コワゴワ ・・ って云うのが当たってるんだと思う

昨日 神経内科の外来に行ってきました

・・ きっと何か云われるだろう・・ と

 絶対何かへこたれちゃうようなこと云われちゃうだろうと

昨日は朝からドキドキだった

待っている間に 血圧を測ってくれるんだけど

やっぱり それもいつもよりちょっと高い 130-80 だった

ほとんど 予約の時間どおりに 呼ばれて

もう見慣れた聞きなれた声の先生の顔を見上げると

   元気だった??(#^^#)??

 と笑いかける先生の顔があった

・・・・・ もう泣きそうな私は

  元気は元気だったんだけどぉ

今日は 先生にお話があって ・・・

待ってる間に血圧も上がっちゃったみたい

いつもより ちょっと高め ・・・・・(/_;)

ナに云ってるんだよぉ いつもとオンナジジャないかぁ

     気持ちをほぐしてくれるような やわらかい笑顔で診察は始まった

・・・・・ すずかけの先生から・・上手に説明できないとイケないから お手紙送ってくれるって聞いてたんですけど 来てますか??

     ああ 来てるよ 

あ〜 ヨカッタア〜(・・)ε-(´∀`*)ホッツ

なんだか もう話が全部伝わったような気になってきた(^_-)-☆

     それで どうしたの ??

そうだった これからだったんだっけ"(-""-)"

そして 入所中に起きたことを日を追って話して その前後の事やどう思ったかを話した

先生は ゆっくりと それで ?? とか だから ?? とか 細かく話しをつなげられるよう笑ったり うなずいたりしながらかなり長い時間を付き合ってくれていた

ワタシの 話の最後は

それで いま 私は ドクターと云う目から見て どうなのか??

心配な 認知症 と云われる段階に立ち入っているのか ・・・・・??

と そう云って 私の泣きそうな気持ちを聴いてもらってきた

先生曰く

今の段階では 私が言った 『高次脳機能障害』 という症状はなくて

もしも 私がなるとすれば 06年の脳内出血による 脳血管障害の 認知症 だろう 

と ナンか ヨカッタような 怖い言葉を付け加えてくれた

いま 認知症でないとするなら どうしたら そこへ行かなくていいようになれるの??

もし なってしまったなら

どういう 治療法 生活をすればいいの?????

慰めにもならないけど

  そのイチバンの治療法 と云えるのは

血管をきれいに保つこと

  血圧を上げない

     血糖値を上げないこと

そのくらいだね     

って ・・・・・

その次にワタシが云った言葉は

        ワタシ 糖尿じゃないもん!!  ただのデブだもん!!!

≪今思うと馬鹿だよね〜≫

(>_<)

そして そして 私は そんなに心配なら もう2年も頭の写真撮ってないから

  来年の春頃 写真撮ってみるか ・・・(ニコ)

という 先生の言葉に促されて

凹み切っている自分と 少しだけ離れることができました

(^_-)-☆

  今日もまた  ガンバリマスriceball


          台所のキフジンより

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明日は外来 ・・

云われてみればそんな気もするけど

自分じゃ気づかなかった・・

ナントナク 今までと違う自分が居るっていうコト

すずかけ の 2週間で今までと 違う!!ッテこと思いっきり指摘されて

そして 明日の神経内科の外来で

ワタシ どういう状態なんでしょうか???

?? ッテこと 聞いてこれまでと違う自分をハッキリさせる

そんなつもりでいるんだけど ・・

なんとなく 過ごせてればいいんじゃないの?? とか

そりゃそうでしょ

やっとの思いで 頑張ってきたんだから 限界だってあるし ・・

という気持ちもある

まぁ どっちにしろ 突然解決策なんて見つかるわけないんだし

  ある程度の自分になれるよう 注意を払っての生活を続ける と云うことになるとは思う

お腹に癌ができた!!(>_<)ってわかったとき

あのときは ナンか 癌 打倒!!に燃えていられたけど

今回は なんか ・・ 燃えられない ・・・・・

それだけ 年をとったのかもしれないけど ね (^_-)-☆

窓からの風に いい気持ちで癒されている間に

     鼻かぜひいちゃったぁ〜(';')って気がする^^v

  とりあえず 明日は 神経内科の外来!

先生にちゃんと話せるかどうか ・・ 心配だったりして((+_+))

  とにかくここでもうひと頑張り!!の

         台所のキフジン なのでありましたぁ〜


  でも  うれしいことも!

夏井いつきの一句一游 『柳散る』 で(^O^)/

       ◆柳散る風に淋しと鳴きながら

                 台所のキフジン


(*´▽`*)

  頑張る力もわいてきたぞぉ〜!!!!!

   

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両面テープ!

治った(^O^)/

  はずだった ・・

あの めちゃめちゃ痛かった お尻の傷 ・・・

それがぁ 〜

また ちょこっと痛み出したのは 先週 ? 先々週??・・ くらいからで

出来たばかりの・・赤ちゃんの肌・・皮膚科の先生は そう云う

その赤ちゃんの肌をちっちゃく傷つけては

治ってきたぁ〜??

やっぱり テープ貼らなきゃダメかぁ〜・・・ 

テープはるとき 気を付けてね

なんて 診察室の中だったりしていた

   それが テープを貼っていた 傷の外側

テープの 接着剤のところが ・・・ ほんの何ミリ

って云うくらいだけど 切れた(>_<)

5月 6月 からの テープ貼生活bombに とうとう耐え切れなくなったみたいだった(泣)

あ〜ぁ どうするぅ〜???

って 今迄みたいに テープは貼れないしィ ・・・

此処を守るためにテープを貼れば

先生の云う  赤ちゃんの肌  のところに 接着面がいく ・・・

お薬を付けて

  パンツ で 保護するしかないね ・・・  ^^) _旦~~

とか 先生はにっこり笑って 励ましてくれているみたいに 云う

それが 先週の金曜日までの診察

この月曜日 つまり 昨日の診察では

    傷が 深くなっちゃってるよぉ〜!!

ひっかいたぁ〜?? なんてこと!

そんなこんなで

昨日の診察から

  バラマイシン は普通につけて アズノールはガーゼにぬって

アズノールの湿布 をしよう !

肌が傷んでいてテープは貼れないんだから 仕方ない!

   トイレで落ちたら落ちたのときだ !

  ナンて 妙に💪 力強く云ってくれたりしていた

ガーゼの湿布は 確かに!イインダケド

その落っこち方は ハンパナく 全部が全部

トイレに行くたびに落っこちる

便座に座る前に そぉ〜っと外しても

立ち上がって

  またくっつけて パンツを履く間に ヒラリ と落っこちて(>_<)いる

昨日 ちゃきちゃんが帰ってきて ガーゼの湿布の落っこち に文句を言っていたら

パンツにつけちゃえよ

  両面テープ で ( 一一)

と 案外簡単に云ってくれたりした!!

ガーゼしないと痛いし

ガーゼの湿布落っことしてると トイレが詰まる??かもしれないし ・・・・・

って めちゃめちゃ 憂鬱でお尻の痛みも増幅されていた私は もう勝ったwineも同然

の気にもなれたりした^^v

夜のガーゼは 少しでも通気のいいほうが好いから って

今朝から !!

ちゃきちゃん発案 両面テープガーゼ湿布 活躍中 であります^^v

耐性菌のニュースを見るたびにお尻が痛くなる(^_-)-☆

          台所のキフジンよりriceball

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書く ということ

パソコンや ケータイの文字の中にうずもれていて

文字を書いている という気になっていた

  今更だけど

甘かった

この頃 漢字ドリル と お友達になってみて

・・なんとなく あやふやな文字がつぎからつぎへと出てくる

サボってたなぁ〜(>_<) って 実感している

やっぱり 手で 書かなきゃ 忘れちゃうんだ ・・・・・

っていうのが 最近 この夏が過ぎての素直な感触

国語辞典をひいて 歳時記を見て

難しい文字は 書けるんだけど

     例えば 『難しい』 って?? とか 一瞬迷う

泣きそうになる自分が居るんだけど

  しっかりしなさいよ って 隣で一本吸ってる自分もいる

ケータイとパソコンに慣れてしまって安心しきっていた自分に

 教科書ドリル 3・4・5・6年生 は どうだ!! と迫ってくる

明日もまた

  教科書ドリル リハビリ (';')

     がんばりまぁ〜す!(泣)

の  台所のキフジン より<(_ _)>

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